研究の想い出
「カテコールアミン」と共に30年
今泉 礼治
1,2
1大阪大学
2大阪労災病院
pp.438-442
発行日 1970年10月15日
Published Date 1970/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425902874
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30有年に亘る副手,助手,助教授,教授としての阪大の研究生活を振り返れば現今の研究者の態度,研究室の雰囲気,指導者の指導方針などもいろいろ異なつてきました。その間の研究の想い出の二,三をご紹介申し上げ,研究中の方々のご参考と成れば幸いです。
昭和10年に阪大医学部を卒業,一応は何処かの教室に入局して,4,5年研究生活をし,医学博士の称号を得て九州の片田舎へでも帰つて開業でもしようという漫然と薬理学教室に副手として入局しました。入局と同時に教授に膵臓ホルモンといわれる「カリクレイン」を勉強する様命ぜられました。半カ年位同ホルモンに関する外国文献の収集,研究成績の調査等毎日毎日が読書の明け暮れで昼食時に30分位教室の食堂に全教室員が集まり先輩の助手,講師,教授の研究の話,新聞記事,時には映画,バーの話(この時は教授欠席の場合だけ)に耳を傾け話の聞手に成るだけでした。
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