研究の想い出
忘れえぬ人々・ことども
古澤 一夫
1,2
1神戸医科大学
2日本産業衛生協会
pp.279-284
発行日 1969年12月15日
Published Date 1969/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425902825
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1.万人万物皆吾師 中年頃2回労研(倉敷と東京)にごやつかいに相成つた。当時「産業医学」はまだ無名。いわんや「労働生理学」なんて労研がいつたところで相手にもされなかつた。無理もない,中味は無に近かつた。もちろんドイツにはArbeitphysiologie誌があり,英には第一次大戦にこりごりしてFatigue Research Boardを設け,商務省附属として,真赤な外装のパンフレットが発行されてはいたが,筋,神経,呼吸生理学と実験心理学のチャンポンしたような内容だつた。そんなわけで初めて現場(倉敷入所第1日にゲンバという読み方を教わつた。それまではゲンジョウ)へ入つたとたん,これは大変だ,一事(ヒトコト)だと痛々感いたした。出つぱしからギァフンと脳天をやられたんじやから,一生現場には頭が上がらない。また真当に教えられることばかりだつた。がこれは一例,即万例中の一。
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