話題
第21回アメリカ神経化学会日米合同シンポジウム
大平 敦彦
1
Atsuhiko Oohira
1
1愛知県心身障害者コロニー発達障害研究所発生学部
pp.533-535
発行日 1990年10月15日
Published Date 1990/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425900140
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〔フェニックスヘ〕
1990年3月3日,桃の節句を祝う日本を後に,第21回アメリカ神経化学会年次総会日米合同シンポジウムに出席するため,開催地アリゾナ州フェニックスに赴いた。ロスアンジェルスからは,空路約1時間の地にあるフェニックスだが,目的地に近づくにつれ,空からの眺めは,荒涼たる砂漠とくすんだ岩山となった。“太陽の谷間(The Valley of the Sun)”と呼ばれるフェニックスは,年平均300日が晴天で,平均降水量も年7インチときわめて少ない。学会期間中も,もちろん連日晴天であった。ビールの大ジョッキを思わせるコップに,ナミナミと注がれたジュースも,普段ならあまりのボリュームに圧倒され飲む意欲をなくすところであるが,この乾燥した土地では,おいしく飲めた。
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