生命輝かせて―臨床医としての真髄を求めて・9
人生の的
有働 尚子
1
1みさき病院神経内科
pp.831-834
発行日 1999年10月15日
Published Date 1999/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1688901897
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仏学事始め
サンタンヌ病院の玄関前にあるフランス語会話教室(FIAP)に入学でき,時間的にはかなりの余裕が出てきた.体中を耳にしてアンテルヌたちと入院患者を診て回る毎朝の回診で,すでに昼近くには私の両足は棒になっていたが,Shalle de gardeでの小一時間のゆったりとしたフランス的昼食の後には心身のリフレッシュも多少でき,午後は患者さんの入院カルテに目を通す気力が湧いてきた.しかしながら,ここにも大きな関門が控えていた.タイプ打ちの印字された病歴,紹介状は難なく読破できたが,手書きのカルテとなると日本の医療界の常識に漏れず,フランスでも医者の筆跡の解読は難解さを極めていた.
特に,小文字のa,e,oは手書きになると,その前後の文字の関係で崩れており,全くといって良いほど見分けが付かなかった.〈象形文字〉的に,ぱっと見て単語の一塊りが1つのフランス語に見えないとすると,個々のスペルを解読していく作業はほとんど不可能に近かった.できるだけ筆跡の読みやすい文字で記載されている医学生のカルテの記述から読み始め,徐々に慣れていった.
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