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はじめに
「(死を告げる)とは(死を与える)と名づけるものである。元来,医師というものは生を保全するのが仕事である。どうして(死を与える)ことができるであろうか。もしも患者が,さらに理によって論議すべきことがあるという名目で,自分の病気の真の容態を知りたいと求めても,医師は決してすぐに,その患者の生きる希望を断ち切ることをしてはならない」。江戸時代に書かれた医戒1)の一部である。
それから,しばらくして,20世紀に入ると,宗教が衰退し,著しく科学が発達してきたが,がん患者に対しては,がんという病名を告げず(後半には病名は告げるようになった),病気の悪化を隠し,死を隠した。
「あなたが死ぬなんて,そんな残酷なことを,どうして言えようか」という時代で,最期まで希望を持たせた。
それが,21世紀に入って,ここ数年,病院では「あなたにはもう治療法はありません。3か月の命と思ってください。ホスピスなら紹介しますよ」と,ごく簡単に,短い命であることを告げる時代となった。抗がん剤治療の効果がなくなり,病気が悪化した時,がん患者はそれを知らされ,死を直視せざるをえなくなった。
患者本位の医療,個人の尊厳,医療内容を「知る権利」,自己決定権,検証権(セカンドオピニオン,診療記録の閲覧)等の御旗の下に,希望を持ちたくとも,真実を言って欲しくなくとも,ホスピスなんて考えたくなくとも,かなり明確に短い命であることを知る時代,知らせる時代となった。
それでは21世紀の今は,宗教なしで,患者に死を告げても,患者の心は大丈夫な時代になったのだろうか? 患者は希望を失っても生きていけるのだろうか? 人の精神はそんなに強くなったのだろうか? 少なくとも私のセカンド・オピニオンの外来には,短い命を告げられ,涙,涙で来られる患者は絶えないのである。
人は,死んだら,すべて無くなる,何もかも無くなるのだろう。それでも文明・科学は受け継がれ,どんどん進歩していく。「科学のバトン」は確かに受け継がれていると思う。しかし,「心のバトン」はどうなのだろうか?
私たちが担当させていただき,看取らせていただいた方々の心,魂は私たちの心に残っており,そして昔からの先人の魂もたくさん書物に残っている。たくさん悩んで,苦労して,辛い思いをして亡くなった,そして次の時代に託した精神,魂を,私たちは,しっかりと,そしてうまく受け継いでいるのであろうか?
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