特集 生きることを支えるターミナルケア
あの世まで一緒に行こう―病いのあとに訪れる死を直視して
錦野 光浩
1
1錦野クリニック
pp.925-929
発行日 2006年10月1日
Published Date 2006/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1688100353
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医者は,まず初めに患者さんが受診のために訪ねて来てくれることで患者さんと出会います。医者が患者さんを選ぶのではなく,患者さんから医者が選ばれる関係です。私は消化器外科医ですから,診察して,検査や手術なども行ない,患者さんを付かず離れず診てきました。患者さんとのそうしたお付き合いの中で,私自身の「この人をずっと診ていきたい」という願いがあり,その延長で患者さんが退院された後も,さらにターミナルになった方の往診もずっと続けてきました。
市立病院での17年間
私は1975(昭和50)年に藤枝市立志太総合病院(以下,市立病院)に就職し,外科に17年間勤務しました。市立病院は,長野の佐久総合病院と対比されるぐらい地域医療に熱心な病院でした。藤枝市は基盤的には非常に保健活動が進んだ地域で,たしか当時の住民の受診率は日本一と記憶しています。若さゆえの青臭さも多分にあったと思いますが,私はそこで医師としての原点ともいえる経験を積みました。
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