連載 amans惠道通信・11
あるがままの姿とあるべき姿
飯島 惠道
1
1東昌寺
pp.916-917
発行日 2001年11月10日
Published Date 2001/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686901340
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●黒髪を断ち,俗社会と隔絶した修行道へ
お坊さんの世界にしっかりと足を踏み入れて,早一年半の時間が過ぎた。お坊さんになるいちばん最初の式である「得度式」を行なったのは,今から十四年前。「十二年半もの時間,どこで何をしていたの?」と聞いてみたくなったあなたのために,しばし紙面を費やさせていただこうと思う。
得度式をしたのは,医療短大の卒業式を終えた月の末のこと。ばっさりと黒髪を落とし,墨染めの衣に身を包んだ。四月初め,我が宗派の尼僧の修行道場にて修行開始。二年間修行を積んだ。その頃の私はこう考えていた。「お坊さんは,俗を廃し,聖に徹するべし」と。髪を断じ煩悩を断じて,世俗との交渉を一切断って,ひたすら禅の世界に徹して生きよう,こう思っていた。世俗にあっても世俗に染まらず,僧侶としてあるべき姿を保つ。これこそ立派なお坊さんの姿だと思っていた。黒髪を断つにあたり,それまで書いた日記,いただいた手紙などをすべて燃やしてしまった。それまでの世俗での思い出のすべてはこの先はもう必要ないものと判断し,すべて私の目の前から見えないように焼き尽くし灰にしてしまった。これで世間とおさらばだ。今までの思い出ともおさらばだ。そのときはそれくらいすっきりした。二年間の修行中は,聖に徹することができた。それは,社会と隔絶した「修行道場」での生活であったゆえ,そのようなことが可能であったのだと思う。
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