NURSING EYE
看護教員養成講習会の学びは,私にとって本物か
坂井 恵子
1
1石川県立総合看護専門学校
pp.514-518
発行日 1989年9月25日
Published Date 1989/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663908688
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はじめに
1年に約650名が,大学,研修所,文部省,厚生省などの主催の看護教員養成課程を修了している.昨年,私は,厚生省委託の6か月コースの昭和63年度宮城県看護教員養成講習会を受講した.講習会の目的は,看護教員の質的向上と看護教育の充実を図ることであり,受講生50名は12月17日,雪の降る日の閉講式に揃って修了証書を手にした.
当時私は,教員養成の目的は達成できたか,教員の仲間入りはできたか,と確固たる自信が持てないでいたが,それは今も同じである.反省会の席上で,多くの学びと共に感じたところとして「パッチワーク的な講習科目を関連させふくらませるのは,個人の力量にかかっていた」と発言し,それに対して先生からは,「目的を達成するためにカリキュラムが組まれ,講習生の能力で十分学びとれるもの」と話されたことにある.無論,養成カリキュラムを批判するつもりではなく,講習としての限界を感じたことと講習会で自分の力を出しきったか,という反省を述べたかったのであるが,その言葉に疑問をなげかけられたように思った.
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