看護歴史教育講座・創成期の日本の看護教育 米国プレスビテリアン・ミッションの往復書簡にみる桜井女学校附属看護婦養成所の経緯・3
衛生園の設立と閉園に至るまで
高田 みつ子
1
1国立横須賀病院附属看護学校
pp.574-578
発行日 1986年8月25日
Published Date 1986/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663908270
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明治32年(1899)12月15日,田村直臣は“ツルー夫人の伝”を著した.その本は,90頁の小冊子でツルー夫人の幼少時代から,ツルー夫人の死後の教訓にいたる8章からなり,書簡として矢嶋楫子,エリザベス・ミリケン嬢,岡見京子1)らのものが末尾に掲載されている.
昨年(1985)9月,明治学院高校津田一路氏より,この本が東京神学大学にあることを教えられ,そこを訪ねた.そして“ツルー夫人の伝”と感激の対面をした.コピーは不可能とのことで,その場で全文を読み,必要なところを転記させていただいた.この本はツルー夫人の死の3年後に発行されたものである.目次の次のページに角筈村衛生園の図がある.下図は,頌栄女子学院資料室佐成房子氏より提供されたもので,ツルー夫人の伝の図と同一のものである.今回は,ツルーが設立した衛生園におけるツルーの永眠と衛生園のその後,そして閉園時における矢嶋楫子のかかわりについてふれる.
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