連載 看護学教育を考える・16
学生を測る常識的なものさしとは
久保 成子
1
1善隣基督教会付属尾竹橋准看護学院
pp.628-629
発行日 1983年10月25日
Published Date 1983/10/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907880
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マスローの指摘
‘……学校の授業はしばしば,暗黙のうちに,教師を喜ばせることを目的にしている.子供たちは,教室において記憶した事柄の繰り返しは喜ばれるが,創造性は認められないことを非常に敏感に悟り,問題自体の理解よりも,教師が言わせたがっている事柄を覚えるのに専念する.教室の学習では,考えることよりも行為のほうに焦点が置かれるので,生徒は自分の考えとは別に,行動のしかたを正確に学ぶのである’(A. H. マスロー:人間性の最高価値,第13章‘人間主義教育の目的と意味’より)
私は自分の周囲にいる者をながめ,自分の内部を注意深くのぞいてみる.‘お前もか’と内部に潜んでいるものに向かって声が出る.その声は,ローマの英雄が図らずも出した‘ブルータス,お前もか’という声に似た意外性をもっている.
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