病院の中の学校/小児科教育係の経験
看護婦・教師・学生の一人三役
相馬 雅子
1
1国立中野療養所
pp.45-46
発行日 1964年8月1日
Published Date 1964/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905337
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「小児科の教育を担当してみないか」と総婦長からの伝言があったのは,リカバーのかけずりまわるような忙しさの中であった。夜間大学へ通っていた私は,自分の勉強でさえ満足にできていないのに,どうして他人の教育など,とその時は否定的な態度をとった。しかし,1ヵ月に10日あまりの深夜勤と1週間1〜2日の早出勤(準夜,遅出は免除されていた)をし,学校は3年の物理専門課程にはいって,苦しい毎日だったから,全く夜勤のない教育係は魅力であった。結局,ひきうけることにして37年の10月から私の小児教育係がはじまった。
この小児科教室も,戦前は教育熱心な1小児科医の献身と2,3の患者のもとに開かれていたそうであるが,その後現在の大森総婦長が着任するまではそれらしいことはしていなかった。総婦長は長期療養児においては,看護と教育が併行するべきだと強調し,私の前約1年半を,東大衛生看護学科出身の金子道子さんに教育を担当させていた.そういうわけで私は婦長の意志をついで,とにかく知能発達の旺盛な子供たちを無為に過ごさせてはならない,と授業プランをたてた。対象はまず小・中学生。小学生は全課目(体操のみを除く)月〜金曜までは100分で2課目,土曜は50分で1課目授業,中学生は理・数・英・社・国・美術または音楽を週各70分授業にした。
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