教育のひろば
無償の行為ということ
勝田 守一
1
1東京大学
pp.1
発行日 1964年8月1日
Published Date 1964/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905326
- 有料閲覧
- 文献概要
私は最近,続いて二つの不慮の「死」を経験した。私の小さなメイが5才の幼さで,盲腸の手術のあとその短い生命を終えた。利はつで,愛くるしい子であった。親たちはこの8ヵ月で生まれてきた「未熟児」が健やかに育って,しかも人並すぐれて賢く,人びとに愛されていることに倖を満喫していた。盲腸炎の細菌ははげしいたちのものであったようだ。痛みを訴えたとき,すでに化膿した個所は破れていたらしい。敗血症で,脳に来たために,麻酔からさめた子は,色紙をあそびながら,「眼が見えなくなった」といい,深い呼吸をして,そのまま息をひきとった。
この子は,この世に遊ぶために生まれてきたようであった。人びとに愛と喜びとを与えるためにこの世を訪れたようであつた。しかしこの子自身は,それを知らず,人びとをそのはかなさといじらしさに涙にさそう束の間の生命であった。
Copyright © 1964, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.