連載 〈教育〉を哲学してみよう・3
教育的な愛情が覆い隠すもの―〈教育〉の悲劇性
杉田 浩崇
1
1広島大学 教育学部
pp.864-868
発行日 2019年10月25日
Published Date 2019/10/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663201345
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「不易と流行」という言葉がある。新たな変化を重ねていくことこそ、変わらない本質だという意味で、絶えず学び続けることの意義を説いた言葉である。たとえば学校教員には教員免許状更新講習という制度が設けられており、社会の変化に伴って新たな教育方法や子どものおかれた状況についての知識を更新することが求められている。学び続けることは、目の前の子どもに応答する責任をもつ学校教員に求められる不易の姿勢だろう。他方、不易の文字どおりの意味で、いつの時代にも変わらず教育者がもち合わせていなければならないものもある。その代表例が、学習者に対する教育的な愛情だろう。
教育者と学習者の関係は、両者の人格的な信頼関係に基づくと考えられていよう。教師と子どもの交流を描くドラマの多くは、教師の子どもを思う情熱と子どもの教師に対する信頼をカギとしている。『3年B組金八先生』では、1人の生徒のためにときに私生活を投げ打ってまでかかわり続ける教師の姿が描かれるし、『スラムダンク』ではかつて鬼と呼ばれた先生の反省からくる生徒への気遣いと、それを知った生徒たちの先生への信頼が描かれる。
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