連載 なぜから始まる授業 基礎看護技術はなぜそうなのか?・7
「やってはいけないこと」をあえて体験する―バルンカテーテルの風船は何ccで破裂するか
若村 智子
1
1京都大学大学院医学研究科
pp.626-629
発行日 2009年7月25日
Published Date 2009/7/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663101243
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
「与えられるのを待つ」ことからの脱却
前回は教員の態勢について述べたが,今回からは演習の話に戻る。今までの連載で模倣や段取りに従った援助方法技術を演習では重視していないことは,すでにご理解いただけたと思う。
私が看護学生として受けた基礎看護技術は,排泄の演習ならば,ベッドサイドに排泄物品を持っていき,尿器を患者役の学生にあて,しばらくそばを離れ,コールされたら,ベッドサイドに行き,尿器をはずし,ベッドから立ち去る動作を順を追うように行っていたような記憶がある。時間数も,ベッド数も教員数ももっとたくさんであったような気がする。尿器や便器を当てられた患者役であっても,たとえ便器が肌に当たって多少痛くても,相手役の看護者役の学生に協力して(?)『その時』が過ぎるのを静かに待っていたように思う。
Copyright © 2009, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.