連載 地域ターミナルケア—看とりを支える沼隈町の通所訓練教室・13
私たち協働者へのメッセージ
河野 フユ子
1
,
松井 浩志
2
1広島県沼隈町保健係
2広島県沼隈町社会福祉協議会
pp.660-664
発行日 1992年8月10日
Published Date 1992/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662900551
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福祉会館との出会い
私が初めて館長(森下)と出会ったのは,1986年の初夏だった。当時私の勤務先であった養護老人ホームで,疥癬さわぎが起こったのである。その時,陣頭指揮を取ってすべてを処理してくれたのが彼女だった。彼女にとってホームの職員(園長,事務長)は眼中になく,このやっかいな伝染病撲滅と感染予防,患者の治療だけをみつめて動いていた。行動がすばやかったし,予算だ何だと言う管理職の心配など関係なく,事態をみつめてくれた。また,感染している職員にはことのほかやさしく気を遣い,病気は病気としてみつめ正しい説明で不安や偏見が生まれるのを防いでくれていた。
その職員は,町営養護老人ホーム閉鎖により1か月後には新しくできた法人の特別養護老人ホームへ移ることになっていた。我々職員は,疥癬のこと,ホームの老人との別れ,どこへ配属になるかわからぬ我身のことで混乱していた時だった。本音を言うと福祉会館で働くのは半分怖く,半分ひかれた。一緒に仕事をしてみたい気持ちと,しんどいだろうなという気持ちが入り交っていた。そして3か月後,私は彼女の職場へ配属された。1986年10月のことである。そして次の日,私はデイサービスのメンバーとはじめての一泊旅行に同行したのである。
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