特集 保健婦学生がインタビュー 先輩が語る戦後の活動の軌跡(3)—19都県・25人の証言
東北
保健婦ってやりがいのある仕事!—石塚悦子さん(秋田県)
桜田 明子
1
,
佐藤 範子
1
,
貝田 紀子
1
1秋田県立衛生看護学院保健科
pp.242-247
発行日 1985年4月10日
Published Date 1985/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662206974
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はじめに
我国の保健婦活動の先駆は,明治の同志社病院巡回看護婦制度であり,大正の東京賛育会巡回産婆事業などであった。しかし,本格的に保健問題に国全体として取り組んだのは,昭和12年の保健所法の制定以降である。この時点で行政の中に保健婦が設置され,その業務は,社会の変化,公衆衛生活動などの発展に伴って変化してきた。
石塚さんは戦時色がしだいに濃くなる中,昭和16年に保健婦となり,戦中は従軍看護婦として,そして戦後の貧困な時代から現在に至る38年間,保健婦の第一線で活動を続けてきた人である。
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