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保健婦さんへ感謝の心をこめて
芦沢 たつい
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1神奈川県立さがみ緑風園
pp.577
発行日 1976年9月10日
Published Date 1976/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205753
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去る5月28日のことである。夜間の電話で義父(以下父という)の病の重いことを知らされた。職業柄その病気のこと,予後のことなどを推測し,急ぎ行くことを告げた。
その地は,山梨県の南部に位置し,人口約1260人という,所謂過疎に悩む山村,芦川村である。その地名通り,村外れを芦川の清流が岩に砕けては散り,やがて笛吹川にそぞく,その河原に遊ぶ日暁けした子供達のカン高い声が山にこだまし,いかにも山村ならではの風情である。私がこの家の次兄に嫁して15年あまり,その頃は1目2往復のバス交通だけであり,甲府駅から2時間あまりという所要時間であった。唄の文句にあるように,まさに"ガタコト道を揺られ,揺られて,トコトコ走る"という状況であった。だが現在は新道が開き,バス回数も増して町との交流も容易となった。そのためか,標高800米といわれるこの村も短かい夏の間ではあるが,平素の人口の5倍とも,7倍ともいわれるように,都会からマイカーで涼を求めてやって来る。道路は駐車の列が果てしなく続く。
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