グラフ
鹿島—陸と海=2—UMI
pp.153-156
発行日 1973年3月10日
Published Date 1973/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205237
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25万郡市をめざして鹿島の開発が進められていくにつれ、いわゆる"よそもの"(企業にしろ人にしろ)が横行することになり、昭和45年10月には"暴力汚染地区"(警察庁による暴力団特別警戒指定地区)にさえなった。それこそ緑と水ののどかな鹿島から、きわめてドラスチックに転化してしまったのである。
昭和46年になると、操業企業22社硫黄酸化物の排出量3,884Nm2/H、同年平均濃度0.21mg/日/100cm3(日弁連"鹿島公害調査報告書")と汚染は急速に進行していった。昭和46年11月に行なわれた鹿島白十字病院の調査では、泉川浜地区の住民の62%に鼻咽頭の異常が認められた。
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