特集 にいがたの保健婦
話し合い
生活の変化に対応した保健婦活動
南雲 あいせ
1
,
中野 セイ
2
,
鈴木 洋子
3
,
二瓶 武子
4
,
滝沢 キヨ
5
,
棚村 美恵子
6
,
仁木 コト
7
,
黒坂 好子
7
,
清水 テル
8
,
山岸 美代
8
,
湯浅 順子
8
1湯沢町役場
2新津市役所
3大潟町役場
4新発田保健所
5大島保健所
6巻保健所
7公衆衛生看護学院
8県看護係
pp.28-41
発行日 1970年2月10日
Published Date 1970/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662204609
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
医師の代わりとして
南雲 私が土樽に来た昭和22年ころは国道17号線もなかったですし,すごく雪深くて,私も生まれは長野のほうですけれども,あんな雪の深いところへ来たことがないもので,ワラのくつをはいたことがなくて,あれをはくとみんなうしろのほうへ足が曲がっちゃうんです。苦労しましてね。何も品物がないころでしたから,悪いオーバーを着て,ワラのくつをはいて,カバンをしょって,毎日歩いていました。
湯浅 国保組合だったわけですね。
Copyright © 1970, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.