特集 保健婦現代史―そのあゆみとゆくて
第Ⅰ部 公衆衛生行政の流れと保健婦
山形県における保健婦活動の歴史と問題点
結城 エク
1
1山形県衛生部看護係
pp.36-39,42
発行日 1967年1月10日
Published Date 1967/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203821
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I.はじめに
山形県における保健婦事業は,昭和11年10月中央社会事業協会社会事業研究所で開催された農村巡回看護婦講習を受講した私が,東村山郡長崎町(現中山町)に最初の保健婦として勤務したのがはじめてです。当時は社会事業的色彩が濃く,防貧,救貧事業を主とし,町内の困窮家庭を対象とし,そのうえにたっての保健衛生業務でした。逐次,衛生統計を基礎として乳幼児死亡の軽減,疾病の予防事業等と(死亡統計,死亡原因からみて)生活の指導に着手,さらに昭和12年恩賜財団母子愛育会の母子衛生事業を中心とした教育を受けたので,本格的な母子衛生事業を推進したのです。
昭和13年東北の凶作による対策として,東北更新会が政府の手によって組織され,その事業として種々の施策がなされたなかに,乳幼児死亡の軽減,トラホームの撲滅,住宅の改善事業等も大きな事業として推進され,東北各県とともに山形県においてもそれぞれの指定地区が定められ,3名の保健婦の設置をみました。この保健婦は,指定の目的にそった活発な活動を始めたことは申すまでもありませんが,当時の仕事を進めるについての環境的条件をいえば,現在のような状況は望むことは不可能で,保健衛生の指導機関もなく開業医(または医師団と)との密接な連携によってのみ,うまく事を運ぶということを自ら学びつつ進めてまいったのです。
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