特集 第4回国保保健婦講習会のすべて
口絵
筒易水道のある村—新潟県西蒲原郡岩室村間瀬部落を訪ねて
pp.2-8
発行日 1961年11月10日
Published Date 1961/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662202439
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新潟市からバスで2時間ほどゆられ,佐渡弥彦国定公園の多宝山麓にある間瀬は,戸数410戸,人口1800余人の半農半漁の部落で,若い男達は北洋漁業に出稼ぎに行き,老人が近くの海に小舟を操って漁をするという,経済的に恵まれた環境とはいえない地区である。一家の働き手は当然主婦にかかってくるが,その主婦でさえ日雇いに出る人も多いという。このような条件の中にあっても,生活改善に対する関心が強く,婦人会では第一の仕事に簡易水道を計画し,村や県当局に働きかけて遂にその完成をみたのである。間瀬村史によれば昭和6年5月2000円の調査費を計上,村用水道調査を行なったが,その直後,日本海の荒波に村全体がやられ,いつしか立ち消えてしまった記録がある。それから30年を経て35年7月18日起工式を行ない,同年11月20日完成するまで,わずか4ヵ月というスピードである。以前はほとんど共同堀井戸を使い,個人で井戸を持っている家は若干しかなかった。流水や湧水を利用していた家さえあったのであるから,水道の完成によって主婦の労力は半減され,衛生,防火上にも大きな効果をもたらした。村では毎月管轄の巻保健所にまた年2回,県衛生研究所に水質検査を依頼している。ちなみに,この工事に要した総工費は721万円,そのうち162万円は国庫からの補助金である。一戸あたり一律8000円負担したというが,貧しい家計のやりくりによって,全村一致,この工事の完遂に協力したのである。
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