書評
国立療養所結核精神衛生協同研究班—「結核患者の精神衛生」
早坂 泰次郎
1
1立教大学社会心理学
pp.32-33
発行日 1960年1月10日
Published Date 1960/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662202006
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化学療法や外科療法のめざましい進歩のおかげで,結核はもはやおそれるにたりないと考えられるようになつた.しかしこのことは結核患者の精神生活についての関心や配慮の必要性を,いささかも減少させるものではない.結核がおそれられた時代には病人と健康人は峻別され,病人はすくなくともなおるまでは正常な社会生活を断念せねばならなかつたかわりに,病床に安住することが許された.ところがもはやおそれるにたりないという認識が一般化するにつれて,結核患者の多くは社会生活の完全な断念を必要としなくなつたかわりに,病床に安住することもできなくなつた.病気からの自由を得たかわりに,安住の場所を失つた.こうしたどつちつかずの状態は時に非常な苦痛となる.若い頃の数年間の療養生活を通して,私自身同じような体験をもつている.重症時の病気とのたたかいは多かれ少かれ死との対決である.死は自己をほろぼすものでおそるべきだが,たたかいの目標としては単純で明確である,ところが軽快してくると,たたかいの相手は死ではなく生である.生はおそれを必要としないが,たたかいの目標としてはきわめて漢然として不明確である.生とのたたかいの重さにたたえかねると,ひそかに病い重かれとさえ私はねがつたものである.
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