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私の結婚から出産まで
西尾 光枝
1
1和歌山県御坊保健所
pp.41-43
発行日 1958年11月10日
Published Date 1958/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662201758
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はたち代を戦争と敗戦のさ中に過し,なじめない戦後の世相にもまれながら結婚話もない事はなかったけれども只一途に生きるためあわただしい年月を過している中にいつのまにか結婚適令期を遙に過ぎてしまつて35才のオールドミスになつていた.オールドミスと言う言葉の抵抗として私達は「待てば海路の日和あり」とか「誰誰さんを見てごらんなさい30才過ぎて結婚しても至極幸福じやないの」と……晩婚者の見本をあげて自已満足していたものでした.
和歌山県新宮保健所婦長として8年,毎日那智山麓の自宅から片道1時間余をバスと汽車で若い通勤者の集りの中で,はしやぎながら面白く愉快に通勤していたが子供を抱いたお母さんや仲のよい夫婦の旅行者等を見るにつけ何かしら言うに言われないさびしい感情にとらわれた事もしばしばありました.又仕事の上でも乳幼児クリニツクとか育児の衛生教育,受胎調節の指導等において実際に経験のないため指導中にも何かうしろめたい感情が先にたち自信を持つ事が出来なく消極的になつていらいらすることもありました.
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