みんなのまど
人形劇を保健婦活動の一翼に
吉崎 まつゑ
pp.41-42
発行日 1958年9月10日
Published Date 1958/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662201722
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私は長野県で育ち,長野県立保健婦養成所を経て,郷里諏訪郡ちの町(現在茅野町)に保健婦として勤めました.結婚により山梨県に転居して5年間家事に従事しましたが,2年前から私の実母に家事を委ねて,現在の勤めに出ることになりました.
私の勤務している武川村は長野県境に近く,甲斐駒ケ岳や鳳凰山を役場庁舎の西窓に仰ぎ富士山を真南に望む自然環境の極めて美しい所です.人口は約4,500,戸数900戸,その内88%が農家で残り12%が商工その他で,農家一戸当り平均耕作反別田畑6反歩の農村で,部落は8部落,開業医は歯科医を含めて8人助産婦1人,此の村へ私は隣接の白州町から所要時間20分バスで通勤しています.
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