講座
災害時の救急処置
巽 高郎
1
,
田崎 とし
2
,
青木 のぶ
2
1諌早保健所予防課
2諌早保健所
pp.11-16
発行日 1958年2月10日
Published Date 1958/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662201568
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「天災は忘れた頃来る.」とは云い古された事でありますが昭和32年7月25日夜半より26日早朝にかけての九州地方西部,特に長崎県諫早,大村,島原方面を襲つた当地方として未曾有の大水害は住民にとりまして全くこの言の通り瞬時の間に惨状目をおおうような災害に見舞われてしまつたのであります.この状況はすでにラジオ,新聞,ニユース等によりまして皆様御承知の事でありますが,この災害に対しまして当諌早地方を管下に持つ諌早保健所がとりました措置に関し申し述べて御参考に供し,又今後のいましめとして御教示いただければ幸甚と考えます.
先ず当時の天気慨況を簡単に申しますと7月20日頃朝鮮を南北に上下していた梅雨前線は突風を伴う雷雨を降らせ乍ら九州に南下し24日頃には黄海方面に北上したりし乍ら25日9時に至ると前線は済州島の南,長崎県中部を経て四国沖に達し,その活動は次第に活溌となり雷を伴つた強い雨が各所に降り続きました.そして同日15時頃から前線は本県中部に停滞し,この状態が26日迄続いたので記録的な豪雨となつたのであります.特に諌早,大村,島原半島一円で猛威を極め,26日午後6時現在の降雨量は諫早,大村方面では778ミリ,25日21時から22時迄の1時間当り降雨量129ミリと云う驚異的なものでありました.
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