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保健婦のころ
保良 せき
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1学校法人千里山学院
pp.65-66
発行日 1957年2月10日
Published Date 1957/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662201356
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保健婦の現場から退いて20年近くなつた今日,グード・オールド・デイスを語ると思われるか知れぬが,今の保健所法に依つて働いている保健婦より,たしかに奉仕の喜びを身近に感じ,又生き甲斐を味えた事と思う.
私の育てた1キロ300の赤坊……1日何回訪問して看護した事か,朝に夕にことに硬皮症を起した時は3回も訪問してオイレーメントだ,清拭だ,保温だ……と一生懸命でした.山口先生(医師)からもこの子が育つたならと半分馬鹿にされながらも何の設備も無い家で,とうとう大きくなつて今は大阪市淀川区13に娘盛りになつている.13近く通る度に私の命名までしたこの奈良ちやんは記憶から消えない.
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