今月の言葉
秋の夜長
pp.9
発行日 1956年10月10日
Published Date 1956/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662201276
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又ひとしきり虫の音が高まつてきこえる夜の更けるにつれて,いよいよ強く,いよいよあわれに美しくなつていくように思える.秋だな!としみじみ思わせられる.大都会の真中の,焼け跡にたつている建物に住んで,あたりには樹木らしいものもなく,庭など思いも及ばないこの場所にあつても,自然は季節を忘れないで,生い茂つた雑草のかげに,このように美しい虫のすだきを聞かせてくれる.夜の更けると共に国電のやかましい車輌の通過する音に,一時とだえる虫の音も,通り過ぎたあとはより一層,鮮明にきこえて,感慨を深くさせる.二百十日も無事にすみ,今年も又昨年に次ぐ豊作である,と予想されている.豊作は農家のよろこびであると同時に,私達にもまた大いなるよろこびである.何かみちたりた心の余裕をつくつてくれるので,大らかな気持になれて幸せだと思う.
又,秋の特徴は,何となく人をして物を思わせる時である.一方でみち足りた思いのあるのにも拘らず,何かものさびしい気持に追いやられる――"妻がいて,子がいて孤独いわし雲"とよんだ俳人がある.心の底にひそむさびしさをうたつたもので,秋だなと感じさせずにおかない.常日頃,仕事にまぎれて自分の心のあり方を忘れているが,秋の夜長に折にふれて自分の心の奥をのぞいてみる必要もあるのではなかろうか.
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