保健文化賞にことよせて
建設の蔭に
富田 みつよ
pp.30-32
発行日 1952年12月10日
Published Date 1952/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200418
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なだらかな山々に遠くかこまれ,五月ともなれば燃え立つような菜種の黄と麦の青さが田園の何處々々までもひうがつている,この美しい自然の中に私の愛する貴生川町は生々と発展して来た。しかしこの町も僅か数年前には滋賀県東端の本当に忘れられたような一寒村に過ぎずしかもその上医療機関にめぐまれない万年無医村で保建婦設置も県の勧告に依りようやく思いついたと言うような状態,住民は農民が大半で毎日生産に追われまさに農奴の如くあらゆる面に無智と迷信がつよく支配し殊に保建衛生面の劣悪さはこゝに殊更説明を要するまでも無いことである。この町が今日全国にさきがけて保健丈化賞の栄に浴するとは,その当時の人達は恐らく夢想だもしなかつた事であるし,その蔭に追隨して来た私として全く夢のようである。しかし夢と言つてはそれまでで,青春の総てをかけて理想に殉じたその過程は今頃振り返つてみる時,ぬぐえどもぬぐえども泪はつきないのである。否私一人だけではない,今日この感懐を共にしている人達はそも幾人か,しかもその中には既に故人となつた人もある,或は幾山河建設半ばにこの地を追わるゝ如く去つた人もある。
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