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「保健婦雜誌」創刊に寄せて
三木 行治
1
1厚生省公衆衞生局
pp.6-7
発行日 1950年12月15日
Published Date 1950/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200004
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戰後の公衆衞生は量質共に革命的な變化を遂げ,著しい成績をあげている。一,二の例をあげて見ると,從來47歳であつた日本人の平均壽命が,男59歳,女60歳となつたし,結核の死亡率をとつて見ても,人口萬に對して,26〜27位もあつたのが,今年あたりでは15位になるであろうと期待できるし,傳染病も急激に減少した。その他瞠目に値する程の好成績をあげつつある。さてこれ等の輝かしい成績は,何に由來するのであろうか。もとより世界への公衆衞生活動をしているU. S. A.の進駐軍の指導にもよるが,そして又民主化された民衆の協力にもよるのであるが,しかし乍ら漸次内容を整備して來る保健所の活動によるものが大であると私は思わずにいられない。汎アメリカ衞生局書記長は「ラテンアメリカの公衆衞生」を論ずるにあたつて,保健所の誕生はエール,ハーバート兩大學の公衆衞生教室の與えた影響と共に,劃期的であつたと云つているのであるが,私も全く日本について同樣に感ずるのである。しかし保健所活動をこのように高く評價させるものは動く保健所の役割をつとめている保健婦の力が大いに與つて力があるのである。今日本の文化活動のパノラマの上で保健所を,そして保健婦の動きを見るならば,いかに彼女等がKeymanの役割を果しているかがわかると思う。
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