プロフィル
〈猪俣トク〉筋ジス看護に全力でぶつかる—「子供たちは最後の瞬間までほんとによくがんばります」
吉
pp.1185
発行日 1982年10月1日
Published Date 1982/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661922878
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小学生のころ、担任の先生から教師の道を歩めと勧められたこともあったが、ナイチンゲールの本などを読んで影響されていたためか、白衣に強いあこがれをもち、看護婦になりたいと思い続けていた。しかし、高等小学校卒業後、軽い肺浸潤にかかり、二年間じっと耐えなければならなかった。回復後にすぐ看護婦養成所に入り、養成所を出てからは、一時期准看学校で教えたこと以外は臨床を離れたことがない。
一九六四年に我が国に初めて筋ジストロフィー症児のために、全国八か所の療養所に病棟ができたが、現在では二七か所、二五〇〇のベッドが設けられている。新潟療養所でも一九六六年に筋ジス病棟が開設されたが、筋ジス看護の文献も十分になかった当時、開設病棟婦長として三年、手さぐりの状態で筋ジス看護に全力で打ち込んでいった。その後他の病棟に移り、一昨年再び筋ジス病棟に帰ってきた。
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