マイ・オピニオン
新しい医療のなかの看護
錦野 美江
1
1高山赤十字病院人工腎センター
pp.337
発行日 1977年4月1日
Published Date 1977/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661922634
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透析療法が日本に普及して10年余り,5年以上の長期生存者も年々増えつつある.
当センターで最長期生存者Aさんがこの1月1日42歳の苦闘の生涯をとじた.最近のAさんは自力ではほとんど何もできず呻吟の病床の中で‘私は生きていかなければならない意味なんか何もないのだから,こんなこと(透析療法)もうたくさん’と叫ぶこともしばしばだった.遠く県外から送られて来たAさんは,当時重症腎結石による腎盂腎炎でカナマイ療法が行われていたが,重篤な尿毒症に陥り腎摘出透析療法が開始され一命を取り止めた。無腎症となり聴力まで失ったAさんには,強い耳鳴のみが残り悩まし続けた.2年めごろより合併症が次々と執拗に発現し,特にCa代謝障害のため全身の血管壁に石灰が沈着し著しく血行を妨げ,シャントも数十回作りかえられた.神経障害,貧血,激しい痛み—取り止めた命の代償は果てしもない苦痛との闘いだった.彼女の意志とはかかわりなしに透析操作は限りなく反復された.
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