特集 婦長はいま……
婦長は語る
生の深層よりの促し
近森 芙美子
1
1横浜市民病院看護部・神経内科病棟
pp.1353-1357
発行日 1982年12月1日
Published Date 1982/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661919729
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
遍歴のはじまり
トーマス・マンの自伝“ブッデンブローク家の人びと”の中に,感受性豊かでナイーブな心の持ち主である幼年のマンが,学校教師にひどく苦しめられる箇所が出てくる.マンは‘詰衿服の教師’としか書いてないが,その男が自分流の生活信条・意見(それもかなり卑俗で通俗的な)を幼年のマンのみずみすしい心に押し付けようとするために,マンはひどく悩まされる.誰しも自分の青春や幼年の日を回想するとき,必ずこのような出来事に思い当たるのではないだろうか.
若者たちはみな未完で未熟であるにもかかわらず,内面にはそれぞれ高貴なものを持っていて,それを汚されまいとして,精一杯の反逆を繰り広げる.これがいわゆる“心の旅”の始まりである.誤解のないように言っておきたいが,私は決して‘詰衿服の教師’の身分差別をしているのではない.今流行の感性うんぬんという形で,尽きる所は自分たちの育ちの良さを披歴し合うといったレベルでの指摘を,ここでしようとしているのでは決してない.
‘詰衿服の教師’の狭く頑なな生活に根ざす依枯地さが,いかに若者たちの魂を蝕んでしまうか.またその事に全く気付こうともしない‘詰袷服’の存在を,強固なものとして支えている世間というものが,いかに私にとって堪え難かったか—ということを言いたかったのである.
Copyright © 1982, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.