フレツシュ婦長
井上弘子さん—北海道大学医学部付属病院精神神経科病棟
本誌
pp.241
発行日 1982年3月1日
Published Date 1982/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661919484
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母親が看護になりなったという声を聞いていたため だろうか,高校3年の時看護婦になろうと決心した,田身は北海道の日高.勤めた病院は北大に来るまでも室蘭の富士鉄病院や登別の精神科の病院など全部道内の病院ばかり.今まで外科・整形・精神・内科・小児・脳外・と経験してきたが,精神科は2度目の体験である.「精神科に勤務していつも思うことは,精神科の患者さんて,普通の患者さんと違わないなあということですね,だからその人がどうしてそんな行為をするのか,いつも戻って聴くようにしています.患者さんも,聴いてくれるという安心感があるためでしょうか,何でも言ってくれるようになりました患者さんにとっては,病院が家庭と同じようになるわけですから,家庭に近い安心感が得られるようにしたいと思っています。そのためにも,難しいことですが,患者さんと看護婦の間にカベができないように努力していきたいですね
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