グラフ
西陣の路地は病院の廊下や!—京都・堀川病院の〈出っ張り医療〉と〈踏みこみ看護〉
本誌編集室
pp.10-15
発行日 1980年1月1日
Published Date 1980/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661918852
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堀川病院は京都市西陣地区にあり,住民とともにユニークな地域医療活動を進めている住民立の病院である.戦後間もない,健保制度もなかった時代(昭和25年)に,健康だけが元手の西陣の人々が貧しい生活のなかから資金を出し合い,機織工場の一角を借り受け,自らの力で診療所をつくったのが始まりである.その後,この白峰診療所は,地域住民の〈助成会〉活動の広がりとともに,昭和33年医療法人西陣健康会・堀川病院(22床)へと発展し,さらに何度かの増改築を経て,30年後の現在,166床,北分院のほか正親・出町・北野の3つの診療所を持つ総合病院へと成長してきたのである.
その生い立ちの始めから,‘住民の住民による住民のための医療’を目指してきた信念は今日まで一貫され,独特の地域医療システムを作り出してきた.そのいくつかをあげると,まず,住民主体の運営がある(住民側から8人,診療側から7人の代表が参加する理事会によって運営されている).
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