院長訪問・10
—天理よろづ相談所憩の家病院長—山本俊平先生
岩佐 潔
1
1病院管理研究所
pp.49
発行日 1966年6月1日
Published Date 1966/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541202867
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古都奈良市から急行バスに乗れば20分たらずで天理教の中心天理市に着く。本瓦葦屋根入母屋造り千鳥破風付のおよそ病院らしからぬこの建物は「おやさとやかた」を中心に八丁四方を囲む大建築の西側の構成部分の一部に予定されているもので,屋根裏2階を含めて地上8階地下1階の堂々たる建物である。この病院建設には当研究所の吉田所長や前建築設備部長の小川氏らも参画したところであって,外枠の制約にもかかわらず機能的になかなかよくくふうされた点が多い。病室はいわゆるダブル・コリドール形式で中央のコーア部分に看護詰所はじめサービス部が置かれ,よい構造になっている。教団の中心人物「しんばしら」が造るからにはちゃちなものは造らないという方針を打ち出した結果,ベイタートロンにリニアックまでそろえるといったぐあいに思い切った機械設備をほどこしている。
院長の山木先生は大正13年京大卒,同大の結核研究所長,付属病院長の前歴を持った名誉教授でその道の大家である。昭和36年停年退職後,大阪の北野病院長を経て,本年4月この病院開設と同時に初代院長に就任した。先生自身は天理数の信者ではないが,ここの前身の病院に付属していた結核研究所の顧問をしていた関係などあって院長を引き受けた。宗教病院であるが医師はあくまで純医学を実行すればよいという立場に立っている。よい医学を実現するためには医師は常に勉強と研究をつづけなければならない。
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