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精神科における患者への接近,理解についてのべてきたが,この意図するところは精神科看護について論じることではない。精神科看護という一つの臨床看護分野の問題を通して,「看護」のある側面を語りたかったのである。看護婦は患者との「出会い」を通じて互いが体験していることを把握しようとして,はじめて患者を支援する一歩を踏みだすことができると主張するものである。
すなわち看護婦は日常の生活場面において,患者との相互作用にもっとも活動的な役割を果たすことができる。互いの体験していることを察知しその体験をうけている患者を効果的に支援しやすい立場にある19)。しかし漫然と日々の業務にたずさわっていることのみでは,患者との相互作用を生みだすことはできない。患者とのかかわりあいにおいて,常に看護婦は自分自身の立居振舞,ことば,態度など自分の言動の一つ一つがどのように影響するかを知る必要がある。
この体験を知る一つの方法として,看護婦が人間の行動や感情に関する知識を通じて患者の体験の中に自分自身をおこうとする試みがある。こうすることによって,看護婦自身の感受性を訓練していけると考えられる。たとえば,「こういう場合患者はこんな気持をもつと考えられているが,もし自分だったらどんなであろう……」というように。
このことについてはこれ以上ここではふれてないが,このような看護婦の独自な患者の理解の仕方については,現在さまざまな考え方がだされはじめてきている19)。各々の立場や理論的根拠はさておいて,私たち看護婦は患者を純粋に客観的にみようとするのではなく,自分自身とのかかわりあいの中で,相手を知る方法注⑤をとることのできる格好の立場にあることは確かである20)。看護婦が訓練によって自分自身を看護する手段として活用できることを自覚したならば,すべての看護分野において,看護ケアーの質的改善を行なう基盤をもつことができよう。
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