世界の女性
キューリー夫人—ラジウムを発見したノーベル賞科学者
福地 重孝
1
1日本大学
pp.104-105
発行日 1966年7月1日
Published Date 1966/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912818
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女流科学者マリー・キュリー(1867〜1934)の一生は,きわめて多くの波らんと,エピソードに富んでいる。彼女はラジウムの発見によって全世界の人にその名を知られている。あらゆる逆境と物質的な困難を克服し,母として妻としての女性の使命を全うしながら,彼女の才能を発揮し,祖国ポーランドへの愛情と人類の福祉増進のためにささげつくされた一生であった。
女流科学者として,夫ピェール・キューリとともに受けたノーベル物理学賞(1903),彼女だけが受けたノーベル化学賞(1911)のほかに,8つのアカデミック・プライズをはじめその科学者としての功労名誉牌はパリ名誉牌をはじめ15個,世界各国の大学や学会,協会から贈られた名誉博士・名誉会員の称号は,実に107におよんでいる。富をこばみ,名誉に無関心であった彼女は,自らの使命を果たし,身心を消磨しつくして,世を去ったのは32年前の昭和のはじめである。彼女は67歳の死の瞬間まで,その手は実験室で実験している時のような形で,物を持ち,かきまわし,調べる仕事のしぐさをやめなかった。自分の発見したラジウムの放射作用によって,その骨髄は変質し,火傷のひどい手にはタコができていた。彼女は発見したラジウムの犠牲となっておれたのである。
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