特別レポート
白鳥ではなく鷲だった—ナイチンゲールの生涯
豊 紘子
,
神奈川県立長浜看護学院学生自治会
pp.36-43
発行日 1964年6月1日
Published Date 1964/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912267
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昭和38年12月14日,神奈川県下看護学生親睦会において発表したものです。42枚のスライドを使っての発表形式をとったのですが,紙面の都合上ここに4枚だけしか抜萃できないことを残念に思います。
ナイチンゲールはもうイヤだと叫ばれた労働争議
3,4年前,病院の労働争議が全国的に波及し争議手段としてストライキが使われたために,いっそう世間の人々の注目を集めたことがありました。ストライキ戦線では数の上でも病院職員の絶対多数を占める白衣の看護婦の姿がとりわけめだち,その中の誰かが,“ナイチンゲールはもうイヤだ”と叫び,それがプラカードとなって町をねり歩き,マスコミにとり上げられ,ひところナイチンゲールの精神なるものが,現在の薄給にクギづけたかのように書きたてられました。すなわち,親切,服従,清潔,節度など天使のような数々の婦徳を身につけ,学課や技術をよく勉強したうえで,自己犠牲的な献身を要求したナイチンゲール精神が,このような結果を生んだというのでした。そしてまた一方では,ストライキは,ナイチンゲールの精神に反するものだという声も聞かれました。
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