教養講座 小説の話・21
島木健作と武田麟太郎
原 誠
pp.41-43
発行日 1958年6月15日
Published Date 1958/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661910625
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昭和になつてからのわが国の文学は,その主義主張,集団,流派の形体からみれば実にさまざまなものがあつて,スツキリとひとつの線にまとめることは困難だ,といままで申しのべてきました。たとえば新感覚派の文学運動という大きな柱ひとつをながめてみても,命脈はそう長くなく解体し,分裂しているめです。文学的出発にあたつて新感覚派を旗印とした作家も,数年を経ずして変容しているというありさまです。もうひとつの大きな柱—プロレタリア文学運動は,その後どのように変つたでしようか。
大正末期にはじまつて着々と成長をとげ,たくましい骨と肉をつけてきたプロレタリア文学は,たしかに新感覚派の文学運動よりももつと大きなつとめを文学史の上で果していたといえます。新感覚派よりもずつと命脈が長く,そして多くの作家や評論家を擁していました。何よりもこのプロレタリア文学運動の特色は,彼らが「思想」の上に立つていたということです。社会改良,プロレタリアートの解放,革命の思想でありその信念です。しかしこうした思想は,はじめから日本の政府や官憲に危険視され,たえず弾圧をくわえられ拘束されてきました。政府官憲からみれば,彼らは社会の治安と良風を乱す,いわゆるアカだつたのです。しかし,それにもめげず信念をつらぬきとおそうとした彼らの文学精神は,たしかに立派なものでした。それはただ単に文学精神というだけではなくて,彼らの政治信念,社会思想でもあったわけです。
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