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朝の食事をしながら,何時ものようにラジオの朝の訪問に耳を傾けていた。私はこの朝の訪問をきくのが一つのたのしみであり,一つの勉強と心得て,つとめてきくことにしている。今朝のは対談であつたがこんなことを話し合つていた。お祭りの人混みか,見物か,兎に角ひどく混雑した人ごみの中に,自分の意志にさからつて,又,自分の好むと好まざるとにかかわらず,ただ後から後から押して来る力に動かされてもがくばかりでいた。前方を見極めようとしても,それがどうしても出来ない。首をまげればこづかれ,人の足をふんでしまつてどなられ,全く処置がなかつた。其の時フト思いついて手にもつていた古本の包みを地面におき,その上に上つてみた。と,何と世の中は違つた景色になつたことか。自分の眼だけが,他の人の頭の上に出ただけなのに,其処は何と,すつきりとして,見たいだけの先がよくみえる。其処には何のあがきも,混雑もない,数人の脊の高い人の頭がチラホラあるばかりで,実に快く,充たされた気がした。たつた三寸高くなつただけ,眼が他の人の頭の高さにあがつただけなのですから,考えさせられますね。というのであつた。この日の2〜3日前或る集会できいた話に,「アメリカにおける現代の若い人に共通した問題は,何だろう」という問に対し,それは,「若人は,社会生活の標準まで達することについては,言葉を変えれば,平均まではとどくことに努めるが,その上を越してのびることについて懸命にならない。あえて努力をつづけてよりよくなることをつとめない,普通であることをだけで満足している」というのであつたこの二つの話は,期せずして一致した考えであつたが,僅か2〜3日の間に,東西の識者達が,偶然にも考えていることが同じであるということについて,私は,単に偶然として考えないで,若い者の一人としてよくかみしめ味わなくてはならないと思つた。
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