- 文献概要
汽車は雨にぬれながら東北地方を北上していく。窓外に展がる山合いの田圃は,雨ふりだというのに,みのをつけた人々が,せつせと田の草取りをしている。今日あたりは車内にいても指先が冷い位なのだから。水の中はさぞ冷たかろうに,おまけに背中には雨も降り注いでいるのだ。たゆみない農家の人々の勤勉さに,心から頭が下がる。汽車は更に北へ北へと進み,青森県に入つた頃,フト気がつくと,線路の近くに並ぶ家々の屋根に,シヨウブの葉とヨモギを添えたのがいくつもあげてある。あゝ,お節句だなと思う。そういえば向うの森の平家に鯉のぼりの棒がてつぺんの坊主だけつけて手もちぶさたに雨の中に2〜3本たつているのがみえる。成程この辺りは,旧暦の生活をしているらしい。もう7月に手のとどく頃なのに思えばやつかいな風習があればあるもの,千古の昔より太陽は東より出て西に沈んで1日がめぐつていた大和島根日本であつたろうに。暦の上では,いわゆる新暦と称する普通一般,世界共通のものを使い,更にところによつては1ヵ月おくれの旧暦を,そしてずつと田舎の地方では本格的な旧暦を用いているわけなのだが,日常生活がそれでは,この小さい島国中が,3つの異つた取扱いになつてしまうので,それは到底不可能,そこで,目下は,何か昔からの催しものとか,祀りごととか,特殊なものの場合にのみ昔を懐しみ,いい伝えをまもつて実践しているらしい。
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