随筆
看護婦さん
小堀 杏奴
pp.24-27
発行日 1953年12月15日
Published Date 1953/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661909471
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戦爭中私は,その頃まだ小さかつた2人の子供を連れ,長野県の,蓼科高原に疎開してゐた。何しろ,子供の友達といふだけで,さうよくも知らない人を頼つて行つたので,周囲に相談にのつて呉れる人も無く,心細い日々を送つてゐた。
或日,名古屋にゐる夫の妹から手紙が来て,家の病院で看護婦長をしてゐた人が,高原の下の村にゐるから,紹介するといつて寄越した。
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