名詩鑑賞
またある夜に—立原道造
長谷川 泉
pp.44-45
発行日 1953年3月15日
Published Date 1953/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661907266
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長身痩躯,眼の凉しい芥川の再来を思わせるような詩人が立原道造であつた。彼程敵を持たない,誰からも愛された詩人は類まれであろう。彼はなかでも特に堀辰雄と室生犀星から愛された。彼は江古田の療養所で夭折したが,彼の死をいたんだ切々たる室生犀星の言葉は涙なくして讀まれるものではない。彼が生前主として詩作を發表した「四季」の道造追悼記念號は,いずれもこの若い天才的な詩人をいたむ挽歌で蔽われているが,なかでも「わよ,わよ」「さよなら,わよ,わよ」という愛誦で結ばれている犀星の「立原道造を哭す」は,「この喪失こそは,今日の我々の詩壇の最大の哀惜でなくて何であろう」という三好達治の心からの哀悼の辭などと共に長く肺肝に銘ずるものであろう。
彼は生前「萱草に寄す」と「曉と夕の詩」という詩集を殘した。いずれも樂譜型の,立原らしいデリケートな神經がすみずみまでゆきわたつた詩集である。私が高等學校の生徒であつた頃,たしか中村真一郞から白井健三郞をへて私の手もとにまわつて来たこの瀟洒な詩集の感觸を,今でも忘れることが出来ない。中村や,今は渡佛している加藤周一は,一高文藝部の先輩であるこの「眼の美しい詩人」立原道造に私淑していた。私は限定出版のこのすぐれた詩集を手寫した感激を今でも忘れることが出来ない。
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