アメリカより歸つた 對談
貧しい病院と立派な病院の話
日野原 重明
1
,
橋本 寬敏
2
1聖路加病院内科
2聖路加病院
pp.54-56
発行日 1953年1月15日
Published Date 1953/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661907232
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
日野原 初めに私がどういうふうに,1年間を旅行したかをお話申上げます。横濱を出帆したのが,昨年の7月12日,そしてサンフランシスコに24日に着きました。ゴールデン・ゲート橋をくぐつてサンフランシスコを目の前にしたときは,蜃氣樓の中の街のようで,それを非常に印象深く憶えております。サンフランシスコに數日滞在後パロアルトンという,サンフランシスコから4,50マイルの小さな町を訪れました。ここはスタンフォード大學のあるところです。ここでは基礎醫學教室を見學し,又町の開業醫が,高い水準で診療しているところを見せられて,非常に羨やましく思つたのです。それからロスアンゼルスにゆき,1週間おりました。その間ロスアンゼルスのカウンティー・ジェネラル・ホスピタルを見學しました。ペッド數が4,500もあるアメリカ有數の大病院です。
9月の上旬に大陸を東北上し,カンサス州のトピカに下車し,聖ルカ病院の土居醫師の勤めていた州立精神病院と,メニンガア・クリニックを見學した。ここでは内科學がどういうふうに,精神病者の間で精神病醫と協力して働いているかを見るため,内科のお醫者さんと,半日ばかり行動を共にして,いろいろなグループ・ミーティングに出たわけです。トピカからシカゴを經てデトロイトにゆきました。そのデトロイトではフォードの工場と,それからパーク・デーヴィスの製薬工場を見學したかつたのですが,時間がなかつたのでパークデービスだけを見學して,向うの製薬工業の大さに感心しました。
Copyright © 1953, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.