発行日 1949年8月15日
Published Date 1949/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906511
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昨年の11月に米國の首都ワシントンで,6才の小供が友達と遊戲中に全身の皮膚面積の70%を火傷しました。小供の母親は驚いて,直ちにワシントン市の外傷外科病院に入院させました。ところが,外科主任ヤング氏は患者を一目見るや,この小供の命は到底翌朝までは保つまいと云ひました。然しヤング主任初め一同の職員が最薪のあらゆる治療法を盡したため,奇蹟的に助かつて,6ケ月を經た現在も生きて居り,更にその後の治療が成功すれば,この秋頃には退院して家に歸れる見込みがあると或る雜誌に報道されて居ました。
その最近の治療法と云ふのは,特別の繃帶として火傷面から盛に出る創液の浸出を防ぐ繃帶,火傷で身體の蛋白が分解して生ずる毒物を除くこと,創面から浸出して失はれる體液を補給するため100回以上も人血漿を靜脈内に注入したこと創面の化膿を防ぐため數百萬單位のペニシリンを用ゐたこと,創面を早く皮膚で覆ふために度々皮膚移植──これも從來の縫著する方法でなく,トロンビンとフィブリンとを用ゐて創面に粘著固定する新しい方法──其他體力恢復のために多量のビタミンの注射,高蛋白質食餌の供給,熱心な兩親の看護等が凡て協力して小供を助けたのです。現在未だ繃帶や副木が施されて病床に横はつて居るそうですが,こん後施される豫定の3回の皮膚移植が成功すれば,前に述べたやうに今秋には退院出來ると云ふわけなのです。
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