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「人間失格」の宣言はほンのこの間のことであったが,今日は人間性回復,ヒューマニズム,人権等々が標語的に,中味の定かでない騒音の空回りをつづけているように見える。告発ばやりの世の中で,人は前向きだけに馳けながらズボンの尻の綻びには気がつかない。本当に人間とは何であったか,何なのか?
「モラルを離れた意味における真理と嘘言について」(1873)という不思議な題名の短文は,遺稿からやっと陽の目を見たニーチェの初期作品である。それは雑り気なく,かつこの上もない迫力をもつ格調で私共の心に泌み通る。「無数の太陽系となってきらきらと煌めく姿の宇宙の何処かの片隅に昔一つの星があった。その星の上で利巧な動物が認識の作用を工夫した。それは『宇宙史』の最も不遜で,最も虚偽の分時であった。が併し結局はやはりほンの一分時に過ぎなかった。自然が一呼吸,二呼吸する間もなくこの星は硬直し,利巧な動物は死ぬよりなかった。——誰かが寓話を作ることはできるかも知れないが,人間の智慧が自然の中でどんなに浅間しく,どんなに定かでなく,はかなくて,どんなに無目的で,得手勝手な有様であるか,この事は十分に解説しきれないであろう。……そもそも人間は自分自身について何を知っているか!……自然が人間に,その肉体についてすら大部分のことを隠さないのは,人間の眼を腸のうねりや血流の速かな流れ,錯綜した筋の顫動などから逸らして,傲慢で,まやかしものの意識の中に呪縛して閉じ籠めるためである!自然は鍵を捨て去ったので,もし何時か意識の部屋の隙間から外を見おろすことのできる人がいて,そして,人間とは無情冷酷,貪欲で飽くことを知らない本性のもので,しかも己れの無知にお構いなく,謂わば虎の背に揺られて夢に漂っていることにやっと感づいたとすれば,この宿命的な好奇心者は哀れである」。ニーチェは,彼の探究のそもそもの初めに,生命,それも生の充実という観点に立つとき,意識は生の必要,生の増大と見られるのか,それとも一種の変質,退化,あるいはその妨害と見なくてはならないのではないか,という問いを投げかけた人であった。そしてギリシア人すらそれなりに識別はしていたものの,敢えて分離することはしなかったもの,即ち,意識と生命とを引き離したのであった。
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