発行日 1949年8月15日
Published Date 1949/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906507
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子供の頃から弱い體質であつたが,さりとて別に大病もした事は無く,醫者の家に生れた私は病人の話は當然の樣で,自分の弱さを怖れることを知らないで此の齡迄過ぎた。遂に昨年不養生がたゝつて,入院をしなくてはならない破目となつた。弱々しい苦しい日が何年か續いてゐたのに,私は肺病には絶對にならないと云ふ誠に非科學的な自信をつけてゐて愚かであつた。其の癖,絶對安靜となつた頃は,もう8分通生氣を失つて,魂は死の世界に引づり込まれてゐた。あれ程自信を持つてゐたが到々自分も此の病氣になつて了つた。一生涯と云つても此の儘では後3年位のものであらうし,傳染病と云ふ最も恐ろしい憂慮のもとに,さてどうとも心の決め樣の惡い懊惱の日が續いた。繪の仕事も中途半端であり,と云つて,今更夫とか肉親の者の愛情にスガツて自分の氣持は解決もつきさうにもなかつた。此の動けない状態になつた時,死と云ふ以外に總ての自信を失つて了つた。
弱い者の切無さは全く何とも云ひ樣の無い沈痛さであつた。只一つ,入院をして氣胸をして見る。それが駄目であれば,手術をすると云ふ先生方の方針が定つて,一應考へがそれに向ふ樣になつた。と云つて當時只醫者を信じて治ると云ふ希望的な意見も無く,只されるまゝにガツタリと動けない頭を持上る意力さへ無かつた。けれど未だ入院をした事の無い私には,病院に入ると云ふことは確かに氣分の轉換であつた。
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