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廻り燈籠の影繪(3)
山田 弘倫
pp.503
発行日 1951年10月1日
Published Date 1951/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491200611
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志立富松君は明治34年4月大學卒業直ちに入局9カ月在籍の事になつている醫局では私共と狹い玄關傍の部屋に席を貰つた貴公子然たる立派な風采で己れはと言わぬばかりに胸を張りだしていた謙讓の風に乏しき人であつた醫員としての任務はたしか圖書の整理であつたと思う偶々先生の吉原病院長辭任に關聯して同君が後任となつたのであったが其後の消息は知らない。
加納和夫君は明治35年2月から翌年6月まで1年4カ月程醫員を務めた同君は,一本氣で人事でも傍若無人に批判するので,其言動にはよそ事であつても顰蹙せしめられる事があつた醫員の任務は雜誌編輯であつた先生のように幾回でも校正に念入りであつたから終には疳癪をおこして先生に直接私には勤まりませんと直訴辭任して仕舞つた曰く此の如き校正をするなら他人を入れず獨善的にやつた方が却つて早い仕事になるのだ他人に迷惑をかける丈の效能で馬鹿馬鹿しいと罵倒した此評言は雜誌に關係した者には共鳴者が多かつたさて研究室にも左程落付いておらなんだ歸郷名古屋で開業したが患者にも性癖が影響したようだ惡氣はない腹に一物なぞと云う嫌なのではないが社會には損をする方が多い。
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