連載 忍冬のように[私が生きているということ]・2
看護婦になる決意
水上 學
1
1七里病院
pp.498-501
発行日 1990年5月1日
Published Date 1990/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661900129
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
結核療養の日々
1953(昭和28)年,世の中全体はまだまだ不景気であり,私の住む部落では,ランドセルを買ってもらえない児童たちが風呂敷に教科書を包んで登校していました.
そんな中で,父が買ってくれた赤い革のランドセルはひときわ目立ち,私は他の児童が羨むのを得意に思いながら,新入学の季節を過ごしました.けれども,平均体重より3,4kg少ない,わずか15kg前後しか体重のなかった私は,ランドセルが肩に食い込むような,必要以上の重さを自覚していました.
Copyright © 1990, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.