連載 明るい肉体⑥
皺
天田 城介
1
1立命館大学大学院先端総合学術研究科
pp.954-956
発行日 2006年10月1日
Published Date 2006/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661100648
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「Kさんってとっても苦労したんだね.そうじゃなくちゃ,あんなふうに罅割れたような皺が頬っぺたにできないはずだもんね.家族はその皺の一つ一つにきっと自分たちのよい思い出も嫌な記憶も照らし合わせてしまうだろうね.そのぶん,私たちは知らないから楽だし,だから看護できるって感じもするんだよね.Kさんってどんな人だろって想像しながら看護するでしょ」
脳梗塞で入院してきた75歳の女性であるKさんは私たちの想像力を常に喚起した人である.もともと牛乳屋さんをしてきたというKさんの顔は皺だらけであった.まるで17世紀のヨーロッパで描かれた絵画に出てくる老農婦のような幾重にも深い皺を刻み込んでいた.彼女の頬には,滑らかな岩肌に幾筋もの細やかな筋を横に刻み,妖しく波打つ曲線を描く渓谷の岩筋のような大きな皺がいくつもあった.彼女の額には,髪の生え際あたりから流れる汗も溜まってしまうのではないかと思えるほどの深い峡谷のような皺が三本横に走っていた.でも,その皺や皮膚はまったくゴツゴツした感じはなく,とても柔らかな,懐かしい匂いがしていたのだ.
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